ユニクロ 車いすバスケ日本代表を支援へ 国枝慎吾選手も期待「世界で躍動する姿がすごく楽しみ」 25年続く社会貢献の歩みが新たなステージへ

2026.9.30

株式会社ユニクロが9月30日、一般社団法人日本車いすバスケットボール連盟(JWBF)とオフィシャルスポンサー契約を締結した。

同日、東京都内で「ユニクロ×日本車いすバスケットボール連盟 パートナーシップ共同記者会見」が開かれ、日本車いすバスケットボール連盟会長の田中晃氏、ファーストリテイリング取締役・グループ上席執行役員の柳井康治氏、同連盟理事でユニクロのグローバルブランドアンバサダーを務める国枝慎吾選手、男子日本代表キャプテンの川原凜選手、女子日本代表キャプテンの萩野真世選手らが登壇した。


 

今回の契約では、日本代表チームの活動支援だけでなく、車いすバスケットボールそのものの認知向上、さらにパラスポーツがより身近な存在となる社会の実現を目指す。

一見すると、スポーツブランドとしての新たな取り組みにも映る。

しかし、ユニクロのこれまでの歩みを振り返ると、今回のパートナーシップは突然生まれたものではない。

ユニクロは2001年から障がい者雇用を本格化させ、同じ年にはフリースの回収・リサイクルを始めた。その後、全商品リサイクル、難民支援、災害支援、パラスポーツ支援へと活動の領域を広げてきた。

服を販売する企業だからこそできる社会貢献を、少しずつ積み重ねてきた。その延長線上に、今回の車いすバスケットボール日本代表との新たな関係がある。


 

 

▪️「単なるスポンサーシップではない」連盟が語ったパートナーシップの意味

会見の冒頭、田中会長はユニクロとの契約について、

単なるスポンサー契約という位置づけではないことを強調した。

連盟が掲げる「インクルーシブ社会の実現」という理念と、ユニクロが掲げる社会をより良くする取り組みが重なったことを説明。

「今回のユニクロ様とのパートナーシップは、単なるスポンサーシップではなく、私どもの理念である『インクルーシブ社会の実現』に向けた貢献を共有できたものだと確信しております」

と語り、長期的な協力関係への期待を示した。

今回、日本代表が新たにユニクロのユニフォームをまとることになったことも、大きな変化の一つだ。

競技を支えるだけではない。

代表選手がユニクロのウェアを着て世界の舞台に立つことで、これまで車いすバスケットボールを知らなかった人たちが競技を知るきっかけにもなる。

 

▪️きっかけは国枝慎吾選手 テニス界のレジェンドと車いすバスケの接点

今回のパートナーシップの背景について、柳井氏は意外な経緯を明かした。

ユニクロのグローバルブランドアンバサダーで、車いすテニスの第一人者として長年世界の舞台で戦ってきた国枝選手が、現役引退後、日本車いすバスケットボール連盟の理事に就任。

その国枝選手から連盟との提携について提案があったことが、今回の契約につながったという。

柳井氏は、

「『服の力で世の中をより良くする』というユニクロの思いと、『車いすバスケットボールを通じて社会を良くしようとする』連盟の理念が一致した」

と背景を説明した。

ユニクロにとって国枝選手は、単なる広告塔ではない。

2009年にプロ宣言した国枝選手をユニクロがいち早く支援したことは、同社と国枝選手の長い関係を象徴する出来事でもある。2021年には、国枝選手が世界の頂点に立ったことを受け、ファーストリテイリングが1億円の特別報奨を決定したことも公表されている。

その国枝選手が今度は、競技を支える側として車いすバスケットボールとユニクロをつなぐ。

ここには、アスリート支援の次の形が見えてくる。

 

▪️国枝選手「最初に興味があったのは車いすバスケットボール」

会見では、国枝選手自身と車いすバスケットボールとの意外な関係も明かされた。

国枝選手によれば、車いすテニスを始める以前、最初に興味を持っていた競技は車いすバスケットボールだったという。

しかし、近くにチームがなく、車で2時間ほどかかる場所にしかなかったため、結果的にテニスを選んだ。

その経験を振り返りながら、現在は自身も車いすバスケットボールをプレーしていることを紹介。

競技の魅力については「激しいコンタクト」を挙げ、

「車いすテニスは距離をとったスポーツですが、車いすバスケットボールは激しいコンタクトスポーツなので、そこが競技を始めてから苦戦しています」

と語った。

一方、川原選手は「持ち点制度」、萩野選手は「男女一緒にプレイすること」を魅力として紹介。

車いすバスケットボールには、障がいの程度に応じた持ち点制度があり、チーム編成にも競技独自のルールが存在する。

さらに男女が同じコートで競技できることも、車いすバスケットボールならではの特徴だ。

こうしたルールを知ることで、試合を見る際の面白さも変わってくる。

 

▪️実は2001年から始まっていた「障がい」と向き合う企業活動

今回のパートナーシップを考えるうえで見逃せないのが、ユニクロの障がい者雇用の歴史だ。

ファーストリテイリングによると、ユニクロは2001年から本格的に障がい者雇用を開始。

「1店舗1名以上の障がい者を雇用する」という目標を掲げ、2012年度以降はほぼ達成しているという。

2025年6月1日時点では、国内ファーストリテイリンググループの障がい者雇用率は4.77%。日本の法定雇用率2.5%を上回り、国内で約1200人、グローバルでは約1700人の障がいのあるスタッフが働いていると同社は説明している。

さらに、障がいのある従業員が働くことだけを目的とするのではなく、店舗運営や商品、サービス、売り場づくりにも当事者の声を生かす取り組みを進めている。

2021年には、障がい者の社会参加を推進する国際イニシアチブ「The Valuable 500」にも加盟した。

つまり、ユニクロのパラスポーツとの関わりは、今回から始まったものではない。

企業内部での雇用という「働く場」の問題から、スポーツという「活躍する場」へ。

その対象領域が広がってきたとも見ることができる。

 

▪️2001年に始まったフリースのリサイクル 「服を捨てない」仕組みへ

同じ2001年、ユニクロはフリース商品の回収・リサイクルを開始した。

そして2006年には対象を全商品へ拡大。「全商品リサイクル活動」として、店頭で不要になったユニクロ商品を回収し、衣料として再利用できるものは支援物資として活用し、再利用が難しいものは繊維や燃料などへリサイクルする仕組みを整えた。

2007年の回収では約30万点を集め、その約79%を発展途上国への支援としてリユース。2007年9月の活動では約43万点を回収し、約90%をリユースした記録も残っている。

現在では、この取り組みはさらに規模を拡大している。

ファーストリテイリングによれば、2025年8月期には約950万点を回収。2006年から2025年8月末までに、お客様から回収した服の累計寄贈点数は約6371万点に達し、81の国や地域に届けられている。

服を売って終わりではなく、その後の服の行き先まで考える。

ユニクロの社会貢献を考えるうえで、この発想は重要なポイントになる。

 

▪️難民支援も25年近く「服だからできる支援」を世界へ

ユニクロの社会貢献の歴史をたどると、難民支援も大きな柱になっている。

2001年にはアフガニスタン難民への衣料寄贈を実施。2007年にはタイやネパールの難民キャンプを訪問し、その後もアフリカなどへの衣料支援を継続してきた。

現在は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などと連携し、衣料の寄贈だけではなく、店舗での難民雇用や自立支援にも取り組んでいる。

2025年8月期だけでも約474万点を寄贈したとファーストリテイリングは公表している。

この活動で特徴的なのは、企業が一方的に支援物資を送り出すだけではないことだ。

店頭で顧客から服を回収し、必要としている人々へ届ける。

消費者の「もう着ない」という行動を、別の誰かの生活を支える力へ変えていく。

ユニクロの店舗網と顧客基盤そのものが、社会貢献のインフラとして機能しているともいえる。

 

▪️災害支援では「服」が生活を支える

災害時の衣料支援も長く続いている。

ファーストリテイリングの公表資料によれば、2011年の東日本大震災では、衣料約120万着を含む32億9000万円相当の支援を実施した。

その後も熊本地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震、台風19号など、国内の災害に際して衣料支援を行ってきた。

災害直後に必要になるものは、食料や水だけではない。

季節や気温によっては、衣料そのものが生活を守るための重要な物資になる。

衣料品を扱う企業だからこそ、平時から蓄積してきた商品や物流、店舗網を社会支援につなげられる。

ここにも、ユニクロならではの社会貢献の形がある。

 

▪️スポーツ支援から「次世代育成」へ

ユニクロの社会貢献は、衣料支援だけにとどまらない。

スポーツを通じた次世代育成にも取り組んでおり、2022年には「UNIQLO Next Generation Development Program」として活動を整理。

国枝選手、錦織圭選手、ロジャー・フェデラー選手、平野歩夢選手ら世界のトップアスリートやスポーツ団体などと連携し、子どもたちがスポーツやサステナビリティについて学ぶ機会をつくってきた。

ここでも共通するのは、「支援する側」と「される側」を固定しない考え方だ。

一流アスリートの経験を次の世代に渡す。

スポーツを見る人を増やす。

競技を始める子どもを増やす。

そして、障がいのある人もない人も同じ社会の中でスポーツを楽しめる環境を広げていく。

今回の車いすバスケットボール支援も、その延長線上にある。

 

▪️国枝選手「ユニフォームをまとって世界で躍動する姿を楽しみに」

会見の最後、国枝選手はユニクロとの長年の関係を振り返った。

ユニクロが世界のアスリートのためにウェアの開発や提供を続けてきたことに触れ、自身も現役時代にウェアの着心地や動きやすさ、機能性の進化を感じていたと説明。

そして今回、車いすバスケットボール日本代表とユニクロのコラボレーションが始まることについて、

「僕にとっても本当に嬉しい1日となっています」

と喜びを語った。

最後には、

「これから日本代表の選手たちがユニクロのユニフォームをまとって世界で躍動する姿をすごく楽しみにしていますし、応援しています」

とエールを送った。

ユニクロにとって、今回の契約は一つの新しいスポンサー契約にすぎないのかもしれない。

だが、25年という時間軸で見れば、その意味合いは少し違って見えてくる。

2001年に始まった障がい者雇用。

同じ年に始まったフリースのリサイクル。

2006年からの全商品リサイクル。

そこから広がった難民支援、災害支援、次世代育成、そしてパラスポーツ支援。

一つひとつは異なる活動に見えても、その根底には「服を通じて社会と関わる」という共通点がある。

今回、ユニクロのユニフォームをまとった車いすバスケットボール日本代表がコートに立つ。

その姿は、単に新しいウェアが披露されるという話だけではない。

長年にわたり積み重ねられてきた企業と社会との関係が、

スポーツという新しい舞台で可視化される。


【瞬刊モッツ 編集部】