五輪ノルディックスキー・ジャンプ混合団体高梨沙羅選手、日本ジャンプ界が背負った1465日と“混合団体”という救済装置
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銅メダルという結果以上に、日本ジャンプ界にとって象徴的な一日だったと言えるだろう。
ミラノ・コルティナ五輪ノルディックスキー・ジャンプ混合団体で、日本は史上初の表彰台となる3位に入った。丸山希選手、小林陵侑選手、高梨沙羅選手、二階堂蓮選手。
4人が並べた合計1034.0点は、単なる数字では測れない「意味」を内包していた。
とりわけ、高梨沙羅にとってこの銅メダルが持つ重みは、競技結果の枠をはるかに超えている。
北京五輪で起きたスーツ規定違反による失格―。
あの出来事から実に・・・1465日。
日本ジャンプ界の“象徴”として、称賛と批判の双方を一身に浴び続けてきた選手が、ようやく五輪の舞台の同種目競技でメダルを掲げた。
だが今回の混合団体は、「高梨がエースとして引っ張った大会」ではない。
チーム全体が、高梨を“背負わせないため”に機能した大会だった。
1番手の丸山選手は、過不足のない安定したジャンプで流れを作った。
2番手の小林は、この台に苦戦しながらも98.5メートルで踏みとどまる。
「完璧」ではなく、「耐える」ジャンプ。
そこに求められていたのは、ヒーロー像ではなく、責任の分散だった。
3番手の高梨選手は、その流れを受け止める役割に熟練の経験値で数字をキープし、最終ジャンパーの二階堂選手がゲートを下げたコーチリクエストに応える101メートルで締めくくった。
結果としてメダルを手繰り寄せたのは、誰か一人の爆発力ではなく、4人の役割分担での積み上げだった。
象徴的だったのは、競技外での空気感だ。
二階堂選手は「表情や言葉から緊張が伝わってきた。自分たちで気持ちを楽にしてあげないといけないと思った」と振り返る。
小林選手も「4年前、いちばんつらかったのは沙羅だった」と語る。
彼らは“勝つため”だけでなく、“彼女を孤立させないため”に跳んでいただけに、まさに団体競技の醍醐味を体現していた。
この混合団体という競技形式は、個の責任が極端に肥大化しがちな五輪という舞台において、ある種の「救済装置」として機能したと言っていい。
失敗の重圧を一人に集めない。
成功の喜びも独占させない。
チームとして結果を引き受ける―その構造が、今回の日本にははっきりと存在していたことも加えておきたい。
高梨選手は試合後、「みなさんのおかげ」と繰り返した。
「個人戦以上にいいジャンプができた」と語り、「人生で取ったメダルで一番うれしい」と穏やかに笑った。
それは、長年背負い続けてきた“日本ジャンプ界の象徴”という役割から、ほんの少し解放された瞬間にも見えた。
ミラノ五輪での銅メダルは、栄光というよりも、回復の証だ。
個人の強さだけでなく、支える構造を作れるかどうか。
日本ジャンプ界が4年越しに示した答えがあった。


