RIZINに敵はいない シェイドゥラエフ選手が示した 日本格闘技が再び世界から注目される理由

2026.5.28
【from Razhabali Shaidulloev official Instagram】

19戦無敗。

しかも、そのすべてがフィニッシュ勝利。

ここまで圧倒的な戦績を築きながら、なお冷静に

「自分はまだ世界最高を目指している」と語るファイターは、そう多くない。

RIZINフェザー級王者ラジャブアリ・シェイドゥラエフ選手が、ロシアメディア『Vestnik MMA』のインタビューで明かした「RIZINとの契約はあと2試合」という発言は、

日本格闘技界に衝撃を与えた。


 

しかも彼は、その先について隠すことなく語っている。

「契約が終わったとき、UFCから良い条件のオファーがあれば行く可能性はある」

この発言が意味するものは単純ではない。

そこから見えてくるのは、「世界のトップファイターが、いまRIZINをどのような舞台として認識しているのか」という変化である。

 

▪️キャリアアップの経由地では決してないRIZIN

かつて日本の格闘技団体は、世界最高峰へ進むための“通過点”のように語られることもあった。

しかし現在、その構図は確実に変わり始めている。

シェイドゥラエフ選手はインタビューの中で、「RIZINは本当に良いファイトマネーを支払ってくれている」と率直に語った。

この一言は極めて重要だ。

UFCは世界最高峰のブランドである一方、契約初期の報酬問題については以前から多くのファイターが言及してきた。各地域の王者クラスであっても、移籍後には大幅な減額提示を受けるケースは少なくない。

その現実を理解した上で、シェイドゥラエフ選手は「最初からトップ選手と戦えるなら、良い条件も得られるはず」と語っている。

そこには、自身の商品価値に対する強い自負がある。

同時に、“RIZIN王者”という肩書きそのものが、世界市場で一定以上の価値を持ち始めていることも示している。

 

▪️海外トップ選手が語る「日本で戦う意味」

今回のインタビューで印象的だったのは、日本のファン文化についての言葉だ。

シェイドゥラエフ選手は、日本の観客についてこう表現した。

「日本のファンは本当に礼儀正しい。あそこから離れたくなくなってしまうほど」

この感覚は、おそらく多くの海外ファイターが共有しているものだろう。

PRIDE時代から、日本の格闘技ファンは“勝敗だけではなく、

戦う姿勢そのもの”に敬意を払う文化を築いてきた。

勝者だけを持ち上げるのではない。

全力を尽くした敗者にも拍手が送られる。

だからこそ、日本大会を経験した海外選手の多くが「日本は特別だ」と語るのである。

シェイドゥラエフ選手の言葉は、その文化が今もなお失われていないことを物語っている。

 

▪️RIZIN榊原氏が描く 世界基準のマッチメイク

さらに注目すべきは、RIZIN側がシェイドゥラエフ選手に対し、

「団体内にはもう相手がいない」と伝えている点だ。

これは極めて異例である。

通常、団体は自前のスター選手を中心に防衛ロードを構築する。

しかし現在のRIZINは、外部から強豪を招聘し、

“世界レベルの対戦”を日本で実現しようとしている。

そこには、かつて日本格闘技が世界を熱狂させた時代の思想にも通じるものがある。

そしてシェイドゥラエフ選手自身は、

「どこから誰を連れてきても構わない。自分は戦うだけ」と語った。

この揺るがない自信こそが、彼を特別な存在にしている。

 

▪️キルギスMMA躍進の象徴

また、シェイドゥラエフ選手の存在は、単独のスター選手という枠に収まらない。

近年、キルギス出身ファイターたちの躍進は目覚ましい。

UFCで存在感を放つムフトベク・オロルバイ選手、ACAで活躍するジャクシルク・ミルザベコフ選手ら、旧ソ連圏の新世代ファイターたちが次々と頭角を現している。

シェイドゥラエフ選手も「キルギスではMMAが本当に大きく成長している」と語った。

重要なのは、彼らが単なるレスリング特化型ではない点だ。

打撃、フィジカル、試合運び、精神性、

総合格闘家としての完成度が極めて高い。

そして、その才能が日本のRIZINで磨かれているという事実は、

日本格闘技界にとっても大きな意味を持っている。

 

▪️「世界最高になりたい」 その言葉の説得力

今回の海外インタビュー内容を総括すると、シェイドゥラエフ選手は繰り返し「世界最高のファイターになりたい」と口にした。

そこに見えるのは、単なる名声欲ではない。

強い相手と戦い続けたいという、純粋な競技者としての欲求である。

ヴォルカノフスキーでも、イヴロイエフでも構わない。

「自分はどちらとでも戦う準備がある」

その言葉には、誇張や虚勢ではなく、“本物の自信”だけが漂っていた。


【文:高須基一朗】