元プロレスラーの借金王 安田忠夫さんが62歳で死去 イノキ・ボンバイエを熱狂の渦に巻き込んだ大金星

2026.2.10

【©️新日本プロレスリング】

大相撲、プロレス、総合格闘技と異色のキャリアを歩み〝借金王〟の愛称で親しまれた元プロレスラーの安田忠夫さんが10日までに死去したことが分かった。

62歳だった。


 

関係者の話によると、安田さんは都内の自宅で亡くなっているところを発見された。亡くなる直前まで警備会社で働いていたという。

安田さんは中学3年時に九重部屋から勧誘を受け、1979年3月場所で初土俵。富士の森、孝乃富士の四股名で土俵に立ち、1990年7月場所では小結に昇進するなど、角界で確かな足跡を残した。

廃業後の1993年6月に新日本プロレスへ入門。

1994年2月、日本武道館大会の馳浩戦でプロレスラーデビューを果たすと、2001年にはアントニオ猪木さんに見出され、総合格闘技の舞台へと挑戦の場を広げた。

その名を一躍世に知らしめたのが、2001年大みそかに開催された「INOKI BOM―BA―YE 2001」だった。メインイベントでK-1の強豪ジェロム・レ・バンナを破る大金星。下馬評を覆す一戦は、会場の東京ドームを異様な熱気で包み込み、同大会を象徴する名場面として今なお語り継がれている。猪木イズムを体現するような闘志と執念でつかみ取った勝利は、イノキ・ボンバイエを“伝説の大会”へと押し上げた最大の立役者の一人と言っていい。

 

翌2002年2月にはIWGPヘビー級王座も獲得。

しかし、その後は素行不良なども影響し、活躍の場は次第に減少。

2005年1月に新日本プロレスを解雇されてからは、IWAジャパン、ZERO1-MAX、ハッスル、IGFなど複数団体を渡り歩き、2011年2月に現役を退いた。

一方で、ギャンブル好きとしても知られ、家族と絶縁状態に陥ったことから〝借金王〟の異名が定着。

2007年10月には都内の自宅で倒れているところを発見され、救急搬送されたこともあった。練炭を使った自殺未遂と報じられたが、後に本人はこれを否定している。

波乱万丈の人生の中で、安田忠夫さんが残した最大のインパクトは、あの大みそかの夜――「イノキ・ボンバイエ」を最高潮に導いた一撃だった。

その功績は、今後も格闘技史の1ページとして色あせることはない。