カーリング男子日本代表チーム『SC軽井沢クラブ』が最後の一枠に届かず・・・中国との決戦で敗れオリンピック出場を逃す “狭き門”となる五輪枠の仕組みとは

2025.12.12

ミラノ・コルティナ冬季五輪の出場権を懸けた最終予選は11日(日本時間12日)、カナダ・ケロウナで男子プレーオフ第2戦が行われ、

日本代表・SC軽井沢クラブは中国に4―9で敗戦。

今大会で用意された“最後の1枠”をつかむことはできず、

男子日本代表は22年北京大会に続く2大会連続の五輪落選となった。


 

■ラスト1枠を懸けた「日中決戦」

最終予選では、1次リーグの上位3チームがプレーオフに進出し、残る五輪切符を争う方式。第1戦では、リーグ2位の米国が同1位の中国を9―6で破り、一足先に五輪出場を決めた。敗れた中国と3位の日本が、最後の座を争う“最終決戦”に臨んだ。

日本は、10月のパンコンチネンタル選手権で中国に2連勝、1次リーグ最終戦でも9―6で勝利しており、相性の良さも感じさせていた。

しかし、この日は中国のショット精度が一段と高く、試合の主導権を奪う展開に。第5エンドを終えた時点で1―4の苦しい状況に追い込まれた。

第6エンドで相手のミスを突き2点を返し、第7エンドではダブルセンターガードを配置して攻勢を仕掛けるなど、勝負を懸けた攻めを展開。しかし、3―5で迎えた後攻の第8エンドは取り切れず1点止まり。

第9エンドで痛恨の4失点を喫し、コンシード。

五輪への道は、目前で閉ざされた。

 

■涙に崩れた小泉、仲間が寄り添う

試合後、リードの小泉聡はその場に座り込み、悔しさを抑えきれず泣き続けた。

駆け寄ったスキップ山口剛史も目に涙を浮かべ、静かに肩へ手を置く。

年齢も経験も異なるチームが一つになって追い続けた「五輪」という大目標。

ラスト1戦を落とした現実の重さが、リンクの上に沈んだ。

 

■なぜ“五輪枠”はここまで狭いのか?

―カーリング特有の枠配分システム

カーリングの五輪出場枠は、他競技と比べても極端に少ない。
男女ともに出場できるのはわずか10か国のみ。

枠の大半は前回の世界選手権の成績で決まり、取りこぼした国々は、この最終予選で残る2~3枠を争う仕組みだ。

今回の男子最終予選では、12チーム中で五輪へ行けるのは「2チーム」。

つまり、勝ち抜け率はわずか16%台という過酷さだ。

また、カーリングは世界でも競技人口が限られており、強豪国同士の差が小さいため、1試合のショットミスが勝敗や五輪への道を大きく左右しやすい。
そのため「一度の失敗が4年の努力を左右する」と言われるほど、五輪枠は狭き門となっている。

SC軽井沢クラブは、18年平昌五輪で日本男子が20年ぶりに出場を果たした後、両角友佑・公佑兄弟が退団し、一度は体制が崩れた。

その後、平昌メンバーの山口剛史が中心となり、小泉聡、山本遵、柳沢李空を迎えて21年に現在の布陣を構築。

41歳の山口と、当時10代の山本という22歳差のメンバーが同じリンクに立つ―。

幅広い世代が混じり合った異色のチームは、再び五輪を目指して成長を続けてきた。だが、ミラノ・コルティナの舞台へ届くには、あと一勝が遠かった。