訃報“イチバーン!”の雄叫び、永遠に─ハルク・ホーガンさん死去 享年71歳

2025.7.25

© New Japan Pro-Wrestling】

世界的スーパースターとしてプロレス界にその名を刻み、1980年代には新日本プロレスを舞台に数々の名勝負を繰り広げたハルク・ホーガンさんが、現地時間7月25日、フロリダ州内の病院で亡くなった。享年71歳。稀代のカリスマは、リングを離れてもなお多くの人々の心に“超人伝説”を残した。

 

 ホーガンさんは1953年8月11日、米ジョージア州オーガスタに生まれ、フロリダ州タンパで育つ。1977年にプロレスデビューを果たすと、わずか数年で頭角を現し、1980年に新日本プロレスの『第3回MSGシリーズ』で初来日。以降、80年代の日本マット界において最も人気と実力を兼ね備えた“トップ外国人選手”として君臨した。

 特に印象的なのは、1980年末の3度目の来日以降に定着した「イチバーン!」のパフォーマンス。タイツに記された漢字の「一番」とともに、リング上で高らかに叫ぶ姿は、観客の喝采を浴び、新日本の“象徴の一角”として愛され続けた。

 1983年6月2日、蔵前国技館で行われた『IWGP決勝リーグ戦』決勝では、アントニオ猪木をアックスボンバーで衝撃KO。記念すべき第1回IWGP覇者に輝いた。この年にはMSGタッグ・リーグ戦でも猪木との豪華タッグで優勝を飾り、日本プロレス史に残る金字塔を打ち立てた。

 その後は米国を主戦場に、WWF(現WWE)で“リアル・アメリカン”として頂点へと駆け上がり、プロレスとポップカルチャーを融合させた立役者に。『ロッキー3』への出演、MTVとの連携、初代『レッスルマニア』でのメイン登場など、1980年代のアメリカンドリームを体現した存在だった。

 1990年代にはWCWへと活躍の場を移し、1996年にはnWoを結成して電撃のヒール転向。黒と白のコスチュームに身を包んだホーガンは、旧来のイメージを脱却し、第二の黄金期を築く。nWo旋風は日本にも上陸し、新日本プロレスにもその波は伝播。蝶野正洋を中心としたnWo JAPANが台頭する契機ともなった。

 新日本マットへの思いは生涯変わらず、1993年には約8年ぶりに再上陸。福岡ドームではグレート・ムタと、横浜アリーナでは夢のタッグでヘル・レイザーズと、さらには大阪城ホールで武藤敬司と、東京ドームでは藤波辰爾と激突。リング上で語る姿こそ少なかったが、その一挙手一投足に宿る“超人の存在感”は、観客の視線を一身に集めた。

 2005年にはWWE殿堂入り、2020年にはnWoとしても再び殿堂入り。リングの内外で人々に夢を与え続けた不世出のスーパースターは、まさに時代を超えて語り継がれる“生ける伝説”だった。