「功績を語り継ぐ責任」―阿部慎之助氏の続投が示す“再起の価値”

2026.5.28

プロ野球という世界は、単なる勝敗だけで語れるものではない。

積み重ねてきた歴史、背負い続けてきた責任、そしてファンへ届けてきた夢。

その総量こそが、その人物の本当の価値を形作っていく。

その意味において、阿部慎之助氏が日本球界に残してきた功績は、

決して忘れ去られてはならないものだと・・・考えている。


 

現役時代、読売巨人軍の主将として長年チームを支え、

日本代表としても世界と戦い続けた。

捕手という最も過酷なポジションで、

常に勝利への責任を背負い続けた姿は、

多くの野球ファンの記憶に深く刻まれている。

単なるスター選手ではない。

“巨人の顔”であり、一つの時代を象徴する存在だった。

もちろん、指導者としての過程で問題視される行為があったことについては、決して容認されるべきではない。暴力という行為は、いかなる理由があっても肯定されるものではなく、現代スポーツ界において極めて重く受け止められるべき問題である。

しかし一方で、“過ちを犯した人物が、その後どう向き合うか”という視点もまた、社会において極めて重要だ。

人は失敗をする。

重要なのは、その後に責任を引き受け、批判から逃げず、

自らの立場で結果を示そうとする覚悟ではないだろうか。

もし読売巨人軍、そして阿部慎之助氏自身が、批判や逆風を真正面から受け止めながらも前へ進む道を選ぶのであれば、その“続投”には単なる人事以上の意味が生まれる。

それは、「人は過去だけで決まるのではない」というメッセージになるからだ。

現代社会は、ときに一度の過ちだけで全てを失わせる空気に包まれがちである。しかし本来、教育もスポーツも、“再起”を認める文化の上に成り立ってきたはずだ。

もちろん、今後も厳しい視線は向けられるだろう。結果も問われる。

説明責任も求められる。

それでもなお、逃げることなくユニフォームを着続け、批判の最前線に立ち続けることは、並大抵の精神力でできることではない。

だからこそ、阿部慎之助氏がその責任を背負い続けるのであれば、

その姿は結果として、多くの人々に“立ち上がる勇気”を与える可能性があると考えている。

 

功績を消してはいけない。

同時に、問題からも目を背けてはいけない。

その両方を受け止めた上で、それでも前へ進もうとする姿勢こそ、

今のスポーツ界に求められているのではないだろうか。

私事ではあるが、筆者は東京・両国にある安田学園の卒業生であり、阿部慎之助氏は1学年下の後輩にあたる。私は1977年生まれで阿部慎之助氏が78年世代の早生まれで1979年3月の生まれだ。

特別に親しい関係だったわけではなかったことを前提だが・・・。

しかし高校時代から、千葉県鎌ケ谷市粟野にある「安田学園鎌ヶ谷総合グラウンド」で、とてつもないスイングを繰り返す“怪物”が一つ下にいる―そんな話は、野球部の同級生たちの間で広く知られていた。

大柄な体格から放たれる豪快な打球は、当時から学校内でも語り草だった。

その後、中央大学で活躍する姿を新聞記事で目にした際には、自分のことのように嬉しく感じたことを、30年近く経った今でも鮮明に覚えている。

また筆者が30代の頃、大手不動産会社へ出向していた時期、芝公園のタワーマンション最上階に住む不動産会社社長との会話の中で、当時、同マンションに住んでいた高橋由伸氏のところへマッサージチェアーをプレゼントするのに、下へ運び出した際に少しだけ立ち話程度のレベルだっだが、阿部氏のことを話題にしたことがあった。

その流れで、思わず「実は安田学園時代の後輩なんです」と、少し先輩風を吹かせながら阿部選手について尋ねたことがある。

その際、高橋由伸氏は阿部氏について、「本当にいいやつですよ」と語っていた。

気心の知れた間柄だからこそ伝わる信頼感がそこにはあり、戦力としてだけではなく、人徳の面でも周囲から厚い信頼を得ていることが伝わってきた。

その言葉を聞き、野球人として素晴らしい歩みを続けているのだと感じたことを活字でも残しておきたい。

もちろん、“後輩”と語れるほど近しい関係ではない。

それでも、同世代を代表する功績を残してきた人物が、ここで歩みを止めなければならないような状況に置かれていることに対しては、どうしても黙って見過ごすことができなかった。

私的な感情があることは否定しない。

それでもなお、阿部慎之助氏には読売巨人軍とともに歩みを止めることなく、

今しばらく前へ進み続けてほしいと願っている。


【文:高須基一朗】