過激な仕掛け人- 新間寿さん逝去/ 新日本プロレスを創り上げた男の軌跡
2025年4月21日、昭和プロレス界を陰で支え続けた名プロデューサー、
新間寿(しんま・ひさし)さんが東京都内の自宅で静かに息を引き取った。
享年90歳だった。
その波乱万丈な人生とプロレス界に刻んだ功績を、あらためて振り返る。
▪️“過激な仕掛け人”として時代を動かす
1972年、アントニオ猪木による新日本プロレスの旗揚げに際して、新間さんは初期から参画。プロモーター、ブッカー、広報など多岐にわたる分野で手腕を発揮し、猪木の右腕として活躍した。
その独創的かつ挑戦的な演出スタイルから、「過激な仕掛け人」の異名を取るようになる。
特に象徴的なのが、1976年6月26日に実現した“世紀の一戦”
アントニオ猪木 vs モハメド・アリによる異種格闘技戦だ。
ボクシング世界ヘビー級王者と、プロレス界の象徴が相まみえるという
前代未聞の対戦カードは、世界中から注目を集めた。
この歴史的イベントを裏で動かし、実現へと導いたのが新間さんだった。
プロレスという枠を超えた視点と交渉力は、
後の総合格闘技ブームにもつながる先駆けとなった。
▪️初代タイガーマスク誕生で子どもたちのヒーローを生み出す
1981年には、漫画『タイガーマスク』の世界観を現実に落とし込んだ「初代タイガーマスク(佐山サトル)」をプロデュース。
空中殺法を武器としたその戦いぶりは、多くの子どもたちの心をつかみ、ジュニアヘビー級戦線の大ブームを巻き起こした。
タイガーマスクの登場は日本のプロレス界に革命をもたらし、後に獣神サンダー・ライガーやレイ・ミステリオといったレスラーたちにも影響を与える文化的ムーブメントへと発展していった。
▪️新日本退団後も“仕掛け人”として健在
1983年には新日本プロレスを退社。その後、格闘技色の強い「UWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)」設立に関わり、引き続き“プロレスの枠”を拡張し続けた。
2019年には、アメリカのプロレス団体WWEが運営する「WWE殿堂」入りを果たす。これは日本のフロント関係者としては初の快挙であり、その業績が国境を超えて評価された証とも言える。
晩年も「ストロングスタイルプロレス」の会長として活動を続け、盟友・佐山サトルとともにプロレスの精神を後世に伝えることに力を注いだ。2024年10月には、体力の限界を理由に正式な引退を発表していた。
▪️静かなる最期、そして偉大な遺産
新間さんは一時体調を崩し入院していたが、退院後まもなく自宅にて穏やかに息を引き取ったという。生涯を通じて大病にかかることはなく、まさに“健康寿命”を全うした人生だった。
プロレスを単なる娯楽ではなく、「人間ドラマ」として描こうとした新間寿さん。その生き様は、リングの上ではなく、その裏側で交渉し、構想を練り、舞台を作り上げていくことに全力を注いだ人物そのものだった。
彼の残した功績と情熱は、これからも日本のプロレス文化の中で生き続けていくことだろう。
新間寿さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
【文:高須基一朗】