29日に予定していた「極道の妻たち」舞台あいさつへの登壇を取りやめた女優・岩下志麻

2025.3.27

29日に予定の「極道の妻たち」舞台あいさつへの登壇を

取りやめた女優・岩下志麻

夫で映画監督・篠田正浩さんが死去 

【©️東映】

 

▪️日本映画史に刻まれた革新の軌跡

映画「心中天網島」「瀬戸内少年野球団」など数々の名作を手掛けた映画監督・篠田正浩さんが、2025年3月25日午前4時55分、肺炎のため永眠した。享年94歳。篠田監督の功績を支えた株式会社・表現社が27日、書面にて発表した。

書面には、「篠田正浩は2025年3月25日午前4時55分に肺炎のため94歳で永眠いたしました。ここにみなさまからの生前のご厚誼に深謝し、謹んでご報告申し上げます。故人の遺志に従い、すでに家族葬を執り行いました。後日お別れの会を行いたいと思っております。どうぞご理解の程、宜しくお願い申し上げます。これまで、篠田の映画製作を支えてくださった方々、また映画を愛してくださったみなさまに改めて心より感謝申し上げます。尚、誠に勝手ではございますが、供物、供花、弔電などはご遠慮させて戴きますこと、あわせてご了承くださいますようお願い申し上げます」と記された。

 

▪️革新の旗手としての足跡

篠田正浩監督は1931年、岐阜県に生まれた。戦後の混乱を経て、1950年代に日本映画が黄金期を迎える中で、篠田監督は松竹に入社。小津安二郎、黒澤明ら巨匠たちが活躍する一方で、彼は新しい映像表現を模索し続けた。1960年には、大島渚、吉田喜重とともに「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と称され、旧来の映画文法に挑戦し、新たな映像表現の可能性を切り拓いた。

「心中天網島」(1969年)では、人形浄瑠璃の演出を取り入れ、伝統と革新を融合させた。1984年公開の「瀬戸内少年野球団」は、戦後日本の再生を象徴する作品として高い評価を受けた。

 

▪️おしどり夫婦としての岩下志麻と共に

また、篠田監督と長年連れ添った妻であり、日本映画界の名女優・岩下志麻との関係も広く知られている。彼女は篠田作品に数多く出演し、「はなれ瞽女おりん」(1977年)などで印象的な演技を見せた。篠田監督の創作活動において、岩下志麻は重要な存在であり、公私ともに支え合った関係だった。

その岩下は、29日に東京・銀座の丸の内TOEIで予定されていた「極道の妻たち」舞台あいさつへの登壇を取りやめた。岩下が舞台あいさつに立つのは、1998年公開の「極道の妻たち 決着」以来、実に27年ぶりとなるはずだったが、最愛の夫を失ったばかりの今、その心中は察するに余りある。

 

▪️篠田正浩が遺したもの

篠田監督の作品は、日本映画の伝統を重んじながらも、その枠を超えた新たな表現を追求する姿勢に貫かれていた。時代に迎合せず、自らの信念を貫いた彼の映画は、今も多くの人々の記憶に刻まれている。

後日予定されている「お別れの会」では、映画界の仲間やファンが彼の業績を振り返り、その功績を称える場となるだろう。篠田正浩という名監督の遺した軌跡は、日本映画史に燦然と輝き続ける。