日本ゴルフ史を塗り替え続けた象徴が静かに幕“ジャンボ尾崎”尾崎将司さん逝去 94勝という不滅の金字塔
日本男子ゴルフ界の歴史そのものとも言える存在が・・・この世を去った。
国内ツアー通算94勝という前人未到の記録を打ち立て、
「ジャンボ尾崎」の名で一時代を築いた尾崎将司さんが
12月23日午後3時21分、S状結腸がんのため死去した。78歳だった。
その名は、単なる勝利数を超えて、日本ゴルフ界の象徴として語り継がれてきた。
豪快なスイング、圧倒的な飛距離、そして勝負どころでの異様な存在感。
尾崎さんは、ゴルフを“競技”から“国民的スポーツ”へと押し上げた立役者でもあった。
1947年、徳島県生まれ。もともとは野球少年で、徳島海南高校時代にはエースとして選抜高校野球大会優勝を経験。その後プロ野球・西鉄ライオンズに入団するも、わずか3年でユニホームを脱ぎ、ゴルフの世界へと舵を切った。この大胆な転身こそが、日本スポーツ史に残る物語の始まりだった。
プロ転向後の成長は驚異的だった。1971年、日本プロで初優勝を飾ると、わずか3カ月で5勝を量産。賞金ランキング制度が始まった73年には初代賞金王に輝き、トップランナーとしての地位を確立した。80年代に一時低迷するも、そこからの復活劇は圧巻で、
94年から5年連続を含む計12度の賞金王獲得という偉業を成し遂げた。
96年のダンロップ・フェニックスではプロ通算100勝という大台に到達。55歳で優勝した2002年の全日空オープンでは、最年長優勝記録を更新し、通算113勝(国内ツアー94勝)を積み上げた。その数字は今なお破られる気配すらない。
世界の舞台でも、日本ゴルフ界の可能性を示した。73年のマスターズでは日本人として初めてトップ10入りを果たし、89年の全米オープンでは優勝争いの渦中に身を置いた。
結果以上に、その存在感が海外メディアに強烈な印象を残した。
晩年もなお、記録と挑戦は続いた。
66歳でツアー史上初のエージシュートを達成し、
70歳を超えてなおスコアカードに歴史を刻んだ姿は、
多くのゴルファーに衝撃と勇気を与えた。
そして近年は指導者として、新たな才能を世に送り出した。
ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーからは、
笹生優花選手、西郷真央選手、佐久間朱莉選手といったトッププレーヤーが誕生。
尾崎さんの“勝負哲学”は、次世代へと確かに受け継がれている。
勝利、挫折、復活、そして継承。
ジャンボ尾崎という存在は、数字では語り尽くせない物語の連続だった。

