那須川天心選手の初黒星が照らした“人生観” 井上拓真選手との真剣勝負で見えた、2人の応援したくなる理由
【©️Team Inoue】
格闘技の世界では今、選手が歩んできた人生そのものがファンの共感を呼び、ただ強いだけでは語り尽くせないドラマが生まれている。24日に行われたWBC世界バンタム級王座決定戦も、まさにその象徴だった。井上拓真選手と那須川天心選手―。
タイプは違えど、どちらも自然と応援したくなる2人がぶつかった世紀の一戦は、
勝者にも敗者にも確かな光を残した。
大橋ジムの井上拓真選手は、これまで何度も大舞台で壁にぶつかりながらも、
腐らず、逃げず、努力を積み重ねてきた29歳。
派手な言動こそないが、ひたむきな姿勢と礼節がにじむ“職人タイプ”のボクサーだ。そして多くの観客を惹きつけてきた那須川天心選手は、キックボクシング時代から実に格闘技55戦無敗という“神童”の看板を背負いながらも、プレッシャーを隠さず語る誠実さと、真っすぐな目で挑戦し続ける姿が支持されてきた。
そんな肩書き十二分な2人が真正面からぶつかったこの夜、
勝ったのは井上拓真選手だった。
判定は0-3(112-116×2、111-117)。
実力者として積み重ねてきた経験が試合を支配し、
巡ってきた世界挑戦のチャンスを自ら掴み取った。
長く“井上尚弥の弟”と呼ばれてきた男が、
その名を完全に「拓真」として刻み込んだ瞬間だった。
一方で、初黒星を喫した那須川選手の言葉は、多くのファンの胸を打った。
「こっから始まるなー。人生、おもしろいなと思いました」
悔しさを押し殺した強がりではない。負けを受け止め、前に進む覚悟を語る声は清々しくさえあった。格闘技55戦目、ボクシング転向8戦目での初黒星。
「負けさせられるんだ」と語った瞬間には、
初めて見る色の感情がにじんだが、その後に続く言葉はどこか楽しげだった。
「挑戦して結果が出ないのも楽しい。人生実験なんで、次は成功させるだけ」
不敗神話の終わりを悲劇として語らず、学びとして受け取った。
距離感で井上拓真選手に封じられたことも正直に語り、「経験の差」と認めたうえで、それを“伸びしろ”だと言い切れるのが那須川選手らしい。
敗者としての姿も、勝者を称える姿勢も、どちらも心をつかむ理由があった。
「ダサいじゃないですか。負けて辞めますなんて。辞めないよ。やり続けます。必ずやり返します」
7勝1敗となった戦績の“1敗”は、むしろここから始まる新章のタイトルなのかもしれない。
そして、その1敗を与えた井上拓真選手は、長いキャリアの中で積み上げてきた努力と覚悟を、この勝利で証明した。
多くの挫折を乗り越えてきた男が、那須川選手の挑戦を受け止め勝ち切った姿にも、深い説得力があった。
勝っても負けても、2人とも前を向く。
だからこそ、この試合は誰の心にも“後味の悪さ”が残らなかった。
格闘技ファンの間で「2人とも応援したくなる」という声が広がるのも必然だろう。
それぞれの人生を背負い、リングに立ち、全力でぶつかった29歳と27歳。
勝者の誇りも、敗者の言葉も、どちらも美しかった。
【文:高須基一朗】

