王貞治氏、盟友・長嶋茂雄さんの死去に沈痛「存在感ではかなわない、数字でしか争えなかった」
【追悼】王貞治氏、盟友・長嶋茂雄さんの死去に沈痛「存在感ではかなわない、数字でしか争えなかった」
【取材に応じる王貞治さん】
巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄さんが、6月3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。球界に多大な影響を与え、“ONコンビ”として長年苦楽を共にしたソフトバンク・王貞治球団会長が同日、都内で報道陣の取材に応じ、沈痛な面持ちで盟友の死を悼んだ。
会見場には約50人の報道陣と7台のテレビカメラが詰めかけ、王会長は喪服姿で登場。「今朝連絡をもらい、『えっ』というのが最初の思いでした」と、突然の訃報に言葉を失った様子だった。
1958年にプロ入りした長嶋さんと、翌年入団した王氏は、1960年代から70年代にかけて「ONコンビ」として巨人の黄金期を築き、9年連続日本一の偉業を達成。日本中を熱狂させた。
「長嶋さんは、プレーだけでなく人柄も特別な存在でした。ユーモラスで明るく、何をしても許されるような、不思議な魅力を持っていた」と王氏は振り返る。「私は長嶋さんがいたからこそ、ホームランを打てるようになった。存在感ではかなわなかったので、数字でしか争えなかった」と、ライバルであり憧れの存在だったことを語った。
長嶋さんは現役引退後も巨人の監督として多くの栄光を手にし、2000年には、王氏が監督を務めるダイエーと“ON対決”として日本シリーズで激突。「世紀の変わり目に、ON決戦が実現できたのは特別でした。2勝4敗で敗れましたが、ジャイアンツは本当に強かった」と当時を回顧した。
2004年に脳梗塞を発症した長嶋さんは、その後懸命にリハビリに励み、2013年には国民栄誉賞を受賞。2021年の東京五輪では王氏、松井秀喜氏と共に聖火ランナーも務めた。最後に2人が公の場に姿を見せたのは、2024年11月の「ジャイアンツ・ファンフェスタ90周年セレモニー」だった。
「長嶋さんの人生、2004年の病からの闘いを見てきました。なぜあれだけの人が苦しまなければならなかったのか……それが正直な気持ち」と、王氏は声を詰まらせた。
「野球をやっていたときも、病と闘っていたときも、退くことのない人生だった。前向きに、すべてを乗り越えようとする姿勢に、私たちも引き込まれた。どんな人にも親しみを持たせることができる、本当に特別な人でした」と語り、最後まで敬愛の念を隠さなかった。