■衝撃!ハッスルを知らない!
アントニオ猪木
スペシャルインタビュー!
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■“WE ARE ALL ONE”
須藤元気インタビュー!
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― “WE ARE ALL ONE”っていうメッセージを非常に大切にされていますよね。あの意味はどういうことなんですか?
須藤 うーん、たとえば、昔好きな食べ物が今嫌いだとか、昔好きだったミュージシャンが今嫌いだとか、昔嫌いだった人が今好きだとかあるじゃないですか、一概にすべてを決めつけることはできないんですよ。つまり、『絶対』っていう言葉は本当はないんです。すべての物事の関係性って相対的なものですから。けど、元を正して考えていくと、なんらかの絶対的なものに辿りついちゃうんです。この机もこのコップも、そもそもは分けることができない絶対的な一番細かい物質なんですね。これは『ビックバン仮説』なんですけれど、そこで何かが生じていって、今、この相対的な存在があるわけです。真っ白な部屋にいると、何日も存在できないっていう話があります。というのは、自分と相対する存在がないと新しいデータが脳みその中に入ってこないからなんです。そうするとデータ処理っていう脳みその仕事がなくなってしまって、動かなくなってしまうんですね。それは、死んでるっていうことを意味するわけです。だから、その白い部屋の中に何か物体ができて、それが一枚の平面であることがわかって、しかも材質が木で硬い、上に何かのせられる、そうかこれは机か、とどんどんできていったのが今の世界なわけなんですよ。まあ、言ってしまえば、そのような幻想でこの世界ができてるっていうことでしょうかね。それを楽しもうとするのが、この世界なんですよ。そのように考えていくと、すべては元々〈ひとつ〉なんですよ。それを『神』っていう人もいますよね。なんか話が宗教っぽくなって嫌なんですけど。それに何かがポーンと生じてできたのがこの世界なんです。だから、“WE ARE ALL ONE”。周りに何かがないと人は楽しめないんですよ。楽しむものが何もないから。いろんなものができて悪いやつがいたら、いいやつも必要だろうっていうことなんですよ。それがなかったら、ほかの要素も必要がないっていうことがあると思うんですよ。犯罪がなかったら警察もいらないわけですし。すべてがあるから今の世界が成り立ってるわけです。そういった意味で、この世の中を楽しんで、人に対して、それは自分だと思って接すれば世の中よくなりますし。
― 深いですねえ(笑)。
須藤 ひとつっていう意識ですよね。今、分裂っていう部分がどんどん大きくなってきていると思うんですよ。たとえば、都会なんてコミュニティーがなくなってきているじゃないですか。昔は田舎とかで、じいちゃん、ばあちゃん、おじさん、おばさんとか大家族でみんな支えあって生きてきているから、まっとうに子供が大人になることができたんだと思うんです。今は、そういう家族というコミュニティーがなくなってきている。だから、教育という面でおろそかになってきて、どう大人になっていいのかわからなくなってきているのが現状ですよね。だんだんゆがんできちゃってるんですよね。
― 最近、若い子たちの犯罪って増えてきましたものね。
須藤 うーん、思考と言葉と行為のコントロールですかね。
― 食べ物とか筋トレとかじゃなくて、ですか。
須藤 やっぱり、意思ですよ、意思! 意思の確認。今自分が何を考えてるか、今自分が何しゃべってるのか、今何を行動してるのかっていうことを、俯瞰的な視線でみつめるっていうことが大切ですね。
― 自分を相対化するわけですね?
須藤 やはり、考えている自分について、もうひとり考えている自分を作り出すんですね。変なことを考えてたら、ダメダメってチェックする自分がいる状態です。人間を形成するものって『思考』と『言葉』と『行為』の三つしかないですから。それ以外に自分で何かを作り出すことはできないですから。だって、考えて、しゃべって、動く、でしょ?
 ―たしかに、そうですね。
須藤 その三つを自分がちゃんとコントロールできれば、必ずなりたい自分の姿に近づけるんですよ。だから、なりたい自分の姿を思い描いてみるんです。それで今の自分と比べ合わせた時に程遠かったならば、そのとおりに生きていないんですよ。思考と言葉と行為をコントロールできていない状態なんですね。だから、ネガティブな言葉を使わなかったり、人に文句を言わないようにする。考えがどういう精神状態でいるか、楽しんでいるか、人に対してやさしくしているか、そういったことを、ずっとコントロールしている状態が続くと、それが当たり前になり、ベースになってくるんですよ。どこかしらで、過去のいけない部分を壊していかないといけない。妬みや嫉妬は当然ありますから。まったくないことなんてありえないんで。でも、そんなことを思ったときに、そのもうひとりの自分が「おい、それはダメだよ」って止めてくれると、あっ、そういうのはやめよう、っていう風になるんですよ。
―身体づくりにも、そういった意思のコントロールが必要だと? やっぱり毎日トレーニングをするわけですよね。
須藤 そうですよ。
― 以前、他ジャンルなんですけれど、スポーツ選手のインタビューをしたことがあったんですよ。そのときに、やっぱり練習するのは嫌だよ、っていう話を訊いたんですね。それで、僕、ああ、スポーツ選手も疲れてるときはそういうことを考えるんだ、と思って親近感があったんですよね(笑)。でも、須藤さんの場合、そういった甘さをコントロールしていくわけですよね。
須藤 いや、バランスですよ。したくないときは一切しないですし。
― 転換をはっきりさせる、ということですか。
須藤 なんていうんですかね、しなきゃいけない部分だけで練習したとしても強くなんないですよ。うまくならないですし。何でも『好きこそものの上手なれ』ですから。やはり、やってる物事を楽しまなくては、人間って巧くいかないもんなんですよね。さっき話した思考・言葉・行為ってありましたよね。たとえば、「辛いな」って思ったら、それって思考になっちゃうわけじゃないですか。そういう状態でやっても面白くないんですよ。そんなんじゃ成長もしません。だから、これも相対性なんですよ。好きな子とかと話してたりすると、一時間が一分くらいに感じちゃうじゃないですか。でも、例えば、熱いストーブの上に十秒手を置いたとしたら、それが一分にでも十分にでも感じるんですよ。自分をどういう風に捉えて、前向きに楽しむことができるか。すべてこれだけが問題なんです。何があっても、今自分が楽しめていればそれは必ずプラスに向かっていくんです。もちろん、練習はきついですよ。きついんですけど、自分がきつい中でイヤだなって思うんじゃなく、このきつい練習をこなしたらもっと強くなるなってポジティブに思考を持っていくようにするんですね。ああ、めんどくせえとか思って練習すると、これはネガですから、ぜんぜん成長しないですよ。時間もすごく長く感じちゃって「うわ、まだかよ」って思いますし。「きついけどこれやったら強くなるんだ」って思ったらぜんぜん短く感じますから。これは経験上、感じたことでもあるんですよ。でも、「今日はぜんぜんできねえな」とか「やりたくねえな」と本当に家を出る前に思ったら、その日は、パッとやめちゃいますね。
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